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2011 UCI JUNIORS TRACK WORLD CHAMPIONSHIPS

2011ジュニア世界選手権(トラック)

2011/08/17-21 Moscow-Russia

現地の中田先生からレポートが届きました。
08/22
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RESULT
■スプリント 予選
奥村 10秒649(26位)
田中 10秒982(47位)
谷口 11秒030(48位)
■1kmTT 決勝
新山 1分05秒823(12位)
奥村 1分06秒001(16位)

■チーム・パーシュート 予選
久保田/黒瀬/新山/高士 4分21秒073(11位) … ジュニア日本新記録
■スクラッチ 決勝
新山 DNF


■オムニウム FTT
高士 19秒198(17位)


■オムニウム 16kmPR
高士 8点(5位)


■オムニウム ER
高士 (14位)


■オムニウム 3kmIPR
高士 3分37秒590(16位)


■オムニウム 10kmSC
高士 (3位)


■オムニウム 1kmTT
高士 1分07秒954(13位)


■オムニウム 最終結果
高士(11位)


■チーム・スプリント 予選
奥村/田中/谷口 1分02秒188(7位) … ジュニア日本新記録
■ケイリン 1回戦
4組 奥村(4位)
5組 谷口(3位)

■ケイリン 敗者復活戦
2組 谷口(5位)
2組 奥村(6位)


08/21(Sun)

競技5日目

さて大会も最終日を迎え、残すところケイリンのみとなった。

トップバッターは4組に出走するインターハイ覇者の奥村、そして続く5組に準優勝の谷口である。

奥村はスタートで好ポジションが取れず最後尾に位置、作戦は「先行」であったが、前走がイギリス選手のため、途中でマーク戦に切り替えたようであった。

しかし、前走選手が車間を開け、奥村を牽制して動かないばかりか、さらに前の選手が仕掛けてしまい、結果両者届かず敗者復活へまわった。

谷口はダッシュ活かして3番手確保、ペーサー退避後も仕掛けやすいペースで進んだが、最終周に入ったところで後方選手の追い上げに後退、2センターから懸命に追い込むも届かず、奥村と同じく敗者復活戦へまわった。

約50分後に敗者復活戦が始まった。

幸か不幸か両名は同じ組み合わせ、相談の結果、奥村が「前で先行する」の一言で番手は決まった。

号砲一発でスタート、谷口が2番手確保し奥村を迎え入れ作戦通りのポジション、順調に周回を重ねる。

ペーサーが退避し奥村が早めに仕掛け谷口が不意を突かれた。

その踏み遅れの瞬間に番手に入られ谷口は外並走、最終周に入るところでスプリント銅メダルのドイツ選手がまくってきて、結果谷口5着、奥村6着であった。


ケイリン 奥村選手

ケイリン 谷口選手

スタート前の風景

ケイリン 敗者復活戦

選手団記念撮影

08/20(Sat)

競技4日目

13時3kmIPが始まる。日本からは黒瀬が出場、初日の勢いをそのままに記録更新を狙ったが、序盤こそ記録更新ペースで進むも中盤以降ペースが上がらず、3分35秒542/36位でフィニッシュ、本人にとっては順位よりもタイムを更新できなかった事の方が悔しいだろう。

ちなみに、韓国選手が予選トップで通過ファイナルへ進出、記録は3分19秒112(Ave:54.241km/h)であった。

次のポイントレースまで約6時間出番はなし。休憩時間には、レースが終わった選手もトレーニングを行った。

20時30分からポイントレースが始まった。

この種目には久保田が出場した。途中逃げを試みるも集団のスピードは速く、すぐに吸収されてしまう。

常にカウンターアタックの応酬でスピードが全く落ちない。その中でも逃げを決めラップする選手が何名もいた。また、逃げ集団の中にいてもそのペースについていけず脱落する者もおり、このレースのレベルの高さが伺える。

出場した久保田も後半は追走一杯であった。アベレージ50km/hから何度もアタックができる持久力と、そこからラップできるだけのスピードが必要である。

このレースに出場した上位選手は、インターハイの1kmTTで楽々優勝するだけのスピードを持っているので、日本のポイントレースで優勝程度では太刀打ちできない。さて、次年度に向けてどのように強化していくか…。

余談であるが、入賞選手外のドーピング対象選手に指定され、レース後すぐにシャペロンに付きまとわれクールダウンもそこそこに検査室に連れて行かれた。

日本で実施する検査よりも早かったような気がするが、気がついてみれば、予定していたバスには乗れず夕食は23時前であった…。


3kmIP 黒瀬選手

3kmIP 黒瀬選手

日本チームブース

ポイント・レース 久保田選手

ポイント・レース 久保田選手

08/19(Fri)

競技3日目

12時からスプリント予選開始

日本チームの成績は、奥村10秒649/26位、田中10秒982/47位、谷口11秒030/48位と振るわなかった。

参考までに1位のドイツ選手のタイムは9秒899でワールドレコード(0〜100/4秒927、100〜200/4秒972)、その走りは圧巻でタイム面ではエリートとほとんど変わらなかった。

13時50分からオムニウム/3?IPがスタート、前日のエリミネイション終了時点で13位、タイム系競技は不利なため、少しでも順位を落とさないためにベストを尽くすのみ。結果は公式大会では自己ベストの3分37秒590/16位で終えた。大きな舞台でいくつもの種目を走りながら自己ベストを更新していく姿は素晴らしいものである。

続いて18時50分からオムニウム/スクラッチ(10km)がスタート。作戦は入賞圏内選手が守りの走りに入ると思われるので、相互に牽制した間隙をぬって仕掛ける。前半に様子見で逃げて集団に吸収された後は体力の温存に努め、ラスト1?切ったところで再度アタック、見事3名の逃げが決まりゴールスプリント、渾身の追い込みを見せるも結果3位であった。タイム系で一ケタの順位を取れる選手を育成すれば、日本人選手のこの種目の可能性を感じた。

最後に20時30分からオムニウム/1?TTが行われた。独走でもあるのでギアは51×15に1枚落として本日3走目にもかかわらずベストタイムを更新、記録は1分7秒954/13位、トップの選手は1分4秒101で1kmTTに出場してもメダルを獲得できる選手であった。参考までに7位までが5秒台、8位からは7秒台であった。


1kmTT 高士選手

スプリント 奥村選手

会場風景

オムニウム(スクラッチ) 高士選手

会場風景

会場風景

200FTT 世界記録の瞬間

08/18(Thu)

個人種目が始まるので動静は個々に分かれる。オムニウムに出走する高士ほかスタッフは7時、その他の選手は8時に朝食を摂り、その後の日程に備えた。先発隊は8時に競技場へ移動、その他選手は午後からのトレーニングと1kmTTに備え部屋で休養、12時に昼食と摂り15時の出発まで部屋で待機、その間に補食などの買い出しを行った。

14時40分、オムニウム/フライングラップが開始された。日本からは高士が出走、結果は19秒198/17位であった。単独走ということもあり緊張していたようであったが、終えてからは少し吹っ切れた様子であったので、次のポイントに期待したい。

長い休憩時間を挟んで、18時45分にオムニウム/ポイントレースが始まった。吹っ切れた高士は中間ポイント直後に単独でエスケープを敢行、5点獲得、途中様子を見て中盤に再度3名でエスケープを試み3点獲得、合計8点/5位でポイントを終了した。事前にアドバイスした通り、集団走行中の位置取りも上手くいったが、体の反応が半歩遅れるため他選手に前に入られる場面があったので次のレースからは改善するようアドバイスした。脚質にあった作戦とその実践ができれば十分入賞圏内であること分かった。

次は1kmTTである。19時25分に始まり2組目に奥村が出走、1分6秒001/16位でフィニッシュ、13組目に新山が出走、1分5秒823/12位であった。ギアは両名とも49×14で臨んだ。優勝タイムは1分3秒台が一人、1分4秒台が3名、あとは1分5秒台が11名の激戦であった。タイムが低調であった理由は、雨が降り湿度が上がりバンクが重くなった?(と、各国のコーチは言っている)ことと、オリンピック前年で強化のウエイトがエリートに重点が置かれてることが挙げられる。湿度の高い日本で育った選手は「そうですかね?」とあまり感じない様子で頼もしい限りである。

さて、本日最後の種目は21時45分のオムニウム/エリミネイション/14位である。平均スピードも高く、23秒台/333mでレースが進んだ。途中2度の集団落車でニュートラルが入り、集団がコントロールされ、位置取りが難しかったようである。

オムニウム3種目終えたところで13位、何とか総合順位1桁で終えられるよう明日のレースで頑張りたい。


ER除外通告機器

1kmTT 奥村選手

1kmTT 新山選手

オムニウム(エリミネィション) 高士選手

オムニウム(200mFTT) 高士選手

オムニウム(ポイントレース) 高士選手

キアッパ氏と中野浩一氏

08/17(Wed)

8時に朝食、身支度を済ませ、10時に競技場へ向かう。12時より6割未満の負荷で約40分周回を重ね本番に備えた。中距離チームは補食でつなぎ自転車も念入りに整備・点検を行った。

 大事を取って30分前にバイクチェックに行くも「サドルとDHバーの水平度が出ていない」と3選手の自転車に受けたため、慌ただしくピットに持ち帰り修正、再度点検を受け、なんとか通過した。

スタート直前まで空気入れ等に追われ、スタート体制が整ったのはスタートギリギリであった。余裕をもって取り組んでも何があるか分からないため、常にアンテナを高くし情報収集が必要と痛感した。

この件については、日本チームに限らず前半に出走のチームは同様の指摘を受けメカニックが慌ただしく修正していたが、後半に出走のチームは基準が緩い?特に地元&旧社会主義圏とWCC所属の選手。毎度のことなので慣れてきたが、選手の手前、冷静に対応しようとすればするほど腹が立つ。さて気持ちを切り替えて…。

15時がまわり、チーム・パーシュート予選がスタートした。

2組目出走の日本チームは、黒瀬/中央大学1年・久保田/日本大学1年・高士/朝明3年・新山/八戸工3年の構成で臨んだ。最初の1kmこそ1分9秒であったが、その後は1分3秒台/1kmのラップを刻み、途中若干の落ち込みはあったものの終始20〜21秒/1周のペースでラップを刻みフィニッシュ、見事4分21秒073のジュニアの日本新記録を樹立した。直前のポジション修正の慌ただしさや緊張をものともせず、素晴らしい走りであった。

オープニングセレモニーが終わり、チーム・スプリントは始まる。

チームパーショートの反省を活かし、早めにバイクチェックを行った。スタートリストではバックスタートにも拘わらず、コミセールはホームスタートを指示、疑問に感じつつもホームへ移動し再度バイクチェックを終えると、ホームのコミセールから「バックスタート」の指示、バックから指示があったことを告げるも、確認してもらうとやっぱりバックスタートとのこと、余裕を持っていたから対応できたもののスタッフが一人でも少なければ対応に時間がかかるだけに今後の課題と感じた。

1組目の単独組が終了し、いよいよ日本チームが、谷口/朝明3年・田中/伊豆総合3年・奥村/岡山工3年で臨む。

号砲と同時にスタート、1走目が若干スリップしながらも加速していき、2走、3走とつないぎフィニッシュ!ところが電子計時が止まらず記録が分からない…。記録更新の期待がかかっていたため、全チームが終了するまでヤキモキしながら待つ…。

結果は1分2秒188!チーム・パーシュートに続き、2つめのジュニア日本新記録更新であった。

特筆すべきことは3走目の奥村のタイムである。全チーム3走目の中で2位のタイムで走り、日本選手の潜在能力の高さを示した。トレーニングと研究、そして実践を通して入賞、いやメダル獲得も難しいことではないと感じた。

さて期待のスクラッチは新山/八戸工3年が出場、序盤から優勝候補のロシア(結果:優勝)、オーストラリアと集団を飛び出しエスケープ。10周程逃げるも後続が猛追し集団に吸収され振り出しに戻る。

足を整え再度仕掛けるタイミングを伺っている時に集団全体のスピードがあがりハンドルをすくわれ転倒しDNFとなった。

常駐医師が「救急車で病院へ」とのこと。搬送してもらうも、日本の病院とは程遠い…。20時頃に転倒して最初の診察まで約2時間、ストレッチャーの上で待ちぼうけ…。その後は入院させるの、転院させるの押し問答が続き、結局ホテルに帰ったのが夜中の1時過ぎ…。この件については長くなりそうなので割愛するが、ドクターからは検査入院を勧められるも「選手の安全が心配で病院に任せ切れないのでホテルへ連れ帰った」とだけ付け加える。明日の1?TTにエントリーしているので、体調面のケアに努めたい。


チームスペースにて

ウォーミングアップ

スクラッチ 新山選手

チーム・パーシュート

チーム・スプリント
オーストラリア(チームパーシュート)

オーストラリアのタイム

08/16(Tue)

8時朝食、10時30分のシャトルバスで中田、佐藤&通訳で受付に向かう。パスポート&国際ライセンスを提示、事前に登録しておいたメンバーから出場選手を決定しサイン、国際ライセンスに誤記載があったため、厳しく注意を受ける。通訳を通して丁重に謝罪し事なきを得るが、ライセンスが「Takushi Takuya(正式にはTakashi Takuya)」のため、リザルトはすべてこのスペルとのこと。

13時50分のバスでホテルへ戻り、14時に全員で昼食(本日の練習時間が夜間のため)&休憩、16時30分には全員でホテルを出発し競技場へ向かった。

18時からのマネージャーミーティングを終え、19時30分からのトレーニングに臨んだ。調子は上々、選手の表情も良くリラックスできているようである。慌ただしく片づけ、21時20分の最後のバスの乗り込み競技場を後にした。帰路、ロシアに来て初めて雨が降り少し涼しく感じた。22時に夕食、簡単にミーティングを済ませ部屋に戻った。

選手は雰囲気にのまれることなく、逆に楽しんでいるようにも見える。1年間取り組んできたことを出し切れるようにまずは明日のチーム競技に集中したい。


08/15(Mon)

7時朝食、9時に競技場へ移動、10時30分からトレーニングを行った。48×15で20分アップを行った後、前後にディスクを装着しギアを49×14に上げ、本番を想定したトレーニングを行った。短距離が58秒/F1km、中距離は2分4秒/F2kmが出ており、まずまずの状態?であった。

ただ、良い事ばかりでもなく、スリップダウンによる落車(軽傷)や、準備に時間を要し予定したメニューを時間的理由で消化できないなど90分しかない限られた時間の有効活用が課題となった。選手たちには常に先を見据えた行動を心掛けるよう指導した。

モスクワに到着してから暑い日が続いている。湿度が45%前後なので日本の蒸し暑さを感じることはないが、それでも今日は強が一番暑く感じる。長丁場の大会でもあるので、選手・スタッフとも健康管理(特に水分補給)には十分気をつけたい。

余談であるが、昨日と同じ場所が渋滞していたので気になってみると交通事故であった。昨日は大型トラックが乗用車の側面に追突、今日は路線バス(トローリーバス)が乗用車に追突していた。ホテルと競技場の移動距離は10kmもないが、毎日どこかで事故を目撃する。道路事情を考慮しロードでの移動を選択しなくて正解だったと今更ながら思う。ロシアのみならず日頃のトレーニングでも気をつけたいものである。


08/14(Sun)

選手は時差ボケもなく元気である。昨晩遅かったので朝は9時朝食、身支度を済ませ、10時のシャトルバスに乗り、競技場へ向かった。

練習時間に指定があり、慌ただしく自転車を組み立、48×15で約20分ウォーミングアップ、続いて前ディスクを装着し感触を確かめた。最後に後ギアを14に変更、48×14+前後ディスクを装着しフライングスタートで3周×2本、上々の滑り出しである。練習時間は国毎にグループ別に編成されており、日本はフランスやイタリアと同グループである。特別変わったことをする様子もなく、日本で普段行っているトレーニングと全く変わりなかった。

トレーニング後はホテルへ戻り昼食を摂り、インターハイや移動の疲れもあるため、午後は完全休養に充てることにした。


08/12(Fri) & 08/13(Sat)

8/12(金)

インターハイを終え、慌ただしく出場選手の荷物をレンタカーに積み込みロード会場を出発した。帰省渋滞を覚悟していたが、反対車線の大渋滞を横目に順調に距離を稼ぎ、無事成田に到着、先に公共交通機関で移動していた選手と18時過ぎに「成田菊水ホテル」で合流した。

全員で夕食、簡単なミーティングを済ませた後、自転車&機材の確認と梱包作業を行った。遠征経験も豊富な選手たちなので特に問題もなく終了、少しでも疲れを取るため早めの就寝を指示、初日を終えた。

8/13(土)

6時30分に朝食を済ませ、チャーター済みのホテル送迎バスで成田空港へ向かう。

成田では旅行会社にアテンド頂いたので問題なく搭乗手続きを終了、両替を済ませ足早に搭乗口へ向かった。

定刻が近づき搭乗案内で機内へ乗り込む。しかし、定刻の10時55分を過ぎてもピットを離れる気配がない。20分ほど経過したころ、「急病人発生のため処置中」のアナウンス。更に20分経過後「移動に耐えられないと判断、積み込んだ荷物を降ろす」とのこと。結局、約1時間以上遅れて成田を出発した。

夏休みということもあり機内は満員、チームでまとまって座ることはできなかった。事前に座席予約ができるため最近はまとまった席を確保するのは難しいとのこと。今後の課題としたい。

機内食は2回(昼食/日本時間+朝食/現地時間)、お世辞にも美味しいとは言えないが、これしかないと思えば食べるしかない?

16時45分(日本時間/22時45分)、無事にドモジェドヴォ/ロシア国際空港に着陸、出国手続きで2名が大幅に遅れるも無事通過し、荷物をピックアップして空港ロビーに出た。

既に現地スタッフのお迎えも来ており、今回お願いしていた、現地通訳のヤナ・カザコヴァさんとも無事合流できた。事前情報では気難しいイメージを勝手に抱いていたが、日本に3年間住んでいたとのこと、逆に今回のアテンドが楽しみの様子であった。選手ともすぐに打ち解けコミュニケーションにも問題なさそうであった。

 余談であるが、アルゼンチンチームと、ホテル行きのバスは到着するも機材運搬のトラックが来るのを約2時間待った(待たされた?)。空港ターミナル前の駐車場は区画されておらず、ほぼ無法地帯?にもかかわらず15分以上駐車すると無条件にレッカー移動されるそう。日本の秩序ある日常に慣れた私たちの「常識」が通用しないことを再認識する。

バンク&ホテルへ向けて出発、競技場に到着するも再度トラックを30分待ち…。やっと到着した時には20時(日本時間翌朝2時…)をまわっていた。競技場内の指定されたスペースへ機材を搬入し足早に競技場を後にした。やっとホテルへ移動できると思いきや、アルゼンチンチームのホテルへの送迎&主催者に追加分の費用の納入のため、方角的に反対の別ホテルに立ち寄ることになり、最終的にホテルに到着したのは22時をまわっていた。到着後は遅い夕食と簡単なミーティングを行い就寝した。