2015 チョンジュMBC国際ロード・レース リポート
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青森山田高校 成田 塁先生のレポートです
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5/18 1st STAGE
(104.6km) |
5/19 2nd STAGE
(112.6km) |
5/20 3rd STAGE
(119.3km) |
5/21 4th STAGE
(98.2km) |
5/22 5th STAGE
(124.0km) |
■第8日目(5月22日)第5ステージ−124.0km(チュンジュ〜チョンジュ) |
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いよいよ迎えたファイナルステージの朝、7時より「チュオタン」というドジョウを煮込んだ料理が朝食となった。
非常にスパイシーで食べているだけで汗が吹き出してきた。 食事後、選手は全荷物を持ってスタート地点へと移動となる。 |
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今日のコースは、全ステージの中で最も長い124km。起伏も大きく難易度が高い。
優勝を目指して各チームは積極的なレース展開をしてくるものと予想される。 ホテルを出る時に同宿していたアンビランスのバッテリーが上がっており、日本のチームカー、リュウさんが対応するというアクシデントがあった。 |
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スタート地点は昨日と同じチュンジュ世界武術公園内サッカー場前。
8時35分に到着した。 選手はみな手慣れたもので、バイクチェックとサインシート、ボトルの準備、補食などスムーズに行った。 昨日の落車で湯浅君が、今日はサポートにまわる。 ラストステージは4名での出走だ。スタートまで30分、選手はリラックスムードである。 |
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9時30分ピストルの合図と共に一斉にスタートした。今日のパレード区間は1.6kmとステージレース中最短だ。 パレード区間を抜けて選手は残り122.4km、しのぎを削って最後の戦いに挑む。 パレード区間を終えてリアルスタートしたのが9時33分頃。 レース序盤、結構なハイペースで展開していく。 スタートして約20分、10km地点にてWCCの選手を含む数名が落車した。登りに入る直前だ。 12kmやや手前でつづら折りの下り、再び落車が発生。非常に危険なコースだ。 昨日の序盤とは打って変わって、波乱に満ちたオープニングとなった。 上り手前と下り始めてからの落車でやや、集団がバラけた感じとなっているようだ。 27.8km、4人の選手がアタックを仕掛け上手く逃げ出した。 一方で集団からこぼれた選手が目立ってきた。 29km付近、2名で走行中の山口君の姿を確認した。ここから集団への復帰は難しいであろう。 37km付近、先頭を追う集団から韓国人選手2名とウズベキスタン選手1名の合計3名が抜け出し、タイムギャップ45秒でセカンドグループを形成した。 41km付近でサードグループを形成し、セカンドグループとジョイントした。これでセカンドグループは9名となって先頭を追走。トップと28秒、後続の大集団とは48秒のタイムギャップ。 43km、上りでセカンドグループから3名の選手がこぼれたもよう。 44.5kmの上りきった付近で三宅君が集団からこぼれ、一人で走行していた。ここからの復帰は非常に難しいと思われる。 今日は非常に暖かく、11時過ぎの気温が21度。現在55km付近で集団に残る日本人選手は堀込君と溝口君の2名となっている。 60kmを過ぎたあたりでセカンドグループが形成された。日本人選手2名が含まれている模様。 先頭とセカンドグループのタイムギャップは1分34秒。レースはそろそろ折り返しを迎える。この後どのような展開が待ち受けているのか。 距離は70kmを越え、逃げ集団に含まれる日本選手2名を追走するかたちでチームカーが先頭集団後方へ位置した。 ここでタイミング良く補給となった。 73km堀込君が、溝口君のゼリーとボトルを受け取った。集団はおよそ20名前後。後方集団を大きく引き離している。 80km付近、後続とのタイムギャップ1分18秒。残りおよそ44km。 92.5km付近、先頭とセカンドグループは4分以上のタイムギャップがある。 レースは残り20km。沿道には韓国の競輪選手たち5,6名がレースの様相を伺っている姿が見られた。 107km付近、セカンドグループのなかでウズベキスタンの選手がパンク。即車輪交換をし、復帰を果たした。 残り17kmしか残されていない。この後も、セカンドグループは次々とアタックがかかる。 その度に、集団の隊列が縦に長く伸びる。セカンドグループは先頭と4分34秒。メイン集団と先頭は6分27秒と大きく差を広げた。 レースは残り12km。コースは次第に賑やかな繁華街へと進んでいく。決定的なアタックがきまらないまま走行距離は徐々に少なくなってくる。 116km付近、最後の左折。最後の直線での勝負へと持ち越した。 セカンドグループは依然としてその隊を崩していない。果敢に堀込君がアタックをかけたが失敗。その間に猛烈なカウンターアタックで対応できず、結局は集団ゴールでフィニッシュした。 気温は25度まで上昇しており、選手は疲れきっている様子だった |
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全走行距離558.7kmを走破したのは堀込君と溝口君の2名。 後半のステージから逃げ集団に入ることができるなど、積極的なレース展開ができた。日本では味わうことのできない貴重な体験をもとに、これからの競技人生の糧にしてもらいたい。 さて、最終ステージのゴールは最初のスタートとなったMBCへと戻ってきた。 昼は韓国のり巻きをデリバリーをし、自転車の梱包など帰国の準備をした。15時からMBCでフィナーレセレモニーを行った。 |
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15時30分、ソウルへ向けてウズベキスタンの選手とバスで移動。みんなウトウトとしながら最後の宿舎、ソウルオリンピックパークホテルに到着したのが17時を少し過ぎたあたり。チェックインを済ませて、ロッテワールドでお土産と夕食をとった。 明日はいよいよ帰国することになる。青森組は6時にチェックアウト、京都組は15時半ということでそれぞれ別行動になる。 今回の大会で、選手ばかりではなくスタッフも得たものは大きい。 このような国際大会に出場させていただいたことをすべての人に感謝します。良い成果は残せなかったものの、貴重な体験をさせていただきありがとうございました。 |
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■第7日目(5月21日)第4ステージ−98.2km(チュンジュ〜チュンジュ)
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第4ステージは全ステージ中、最も距離の短いレイアウト。チュンジュの町を南の方へコンパクトに1周するコースだ。 朝食は昨晩お世話になった「サムゲタン」という名の飲食店。 面倒な物を注文できないので、一番わかりやすかった「豚カツ」を注文した。 朝から少々重いような気がしたが選手たちはぺろりと平らげて出発の準備に取り掛かった。 |
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8時40分、体制が整ったのでスタート地点へと自走で向かった。
程なくして到着したのがチュンジュ世界武術公園。 この敷地内にあるタングムサッカー場前が本日のスタート地点となる。 競技役員はすでに集合しており、それぞれのポジションへ移動中だった。 選手はバイクチェック、サインシートをそれぞれ終え、スタートまで待機となる。 昨日ほどの高低差はなく、難易度としてはそれほどではない。 選手はだだっ広い公園内をアップがてらに軽く周回をする。 |
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9時17分、スタート地点に選手たちは整列を始めた。 第3ステージまでの表彰後、試合開始となる。 今日のパレード区間は4.8km。スタート前、整列した選手の傍らでじっと静かに見守っている。 9時30分、選手は一斉に動き出した。リアルスタートは9時36分頃。 ここから残り93.4km、セミファイナルステージの戦いが始まった。 |
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レースは序盤19km付近まで若干の上り、その後40km手前までゆるやかに標高を下げていく。 後半に入って45kmを過ぎたあたりから再び登り始め75kmあたりでおよそ340mの最高地点まで駆け上がる。 その後ゴールまではほぼ下りというコースだ。 スタートして50分およそ30km付近までは何も情報を得られないまま静かにレースは進んでいたが、そこから僅か1分後、韓国人十数名の選手が落車するアクシデントが発生した。 幸い日本人選手は含まれていなかった。 |
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46km付近、選手を苦しめる上り区間が始まった。 スタートから90分が経過、54km付近、ハイウェイコースを走行中だが、特に選手の情報収集ができないままレースは淡々と進行している。 59km付近、堀込君を含む3人の選手で逃げは発生したとの無線情報が入る。 タイムギャップ26秒。このまま集団を引き離すことができるだろうか。 さらにこの付近で補給の要請がはいる。チームカーが集団へ近づき、三宅君がボトルと逃げ集団の情報を監督から得て集団へ戻る。 65km付近タイムギャップ24秒にやや縮められ、集団から2名が先頭を追っているとの情報が入る。 |
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73kmを越えた付近で落車の情報。 場所はトンネル内、湯浅君が巻き込まれた。 湯浅君は一時的に復帰を目指したが、十数メートルで再び自転車を降りた。 どうやらダメージが大きく走行できないらしい。この後、病院で治療することになった。 約80km付近、逃げ集団とのタイムギャップ情報が飛び込んできた。 12秒、集団が大きくその差を縮めてきた。 集団は前方選手を完全に目視できる位置まで迫り、83kmで吸収され1つの集団となった。 89kmで7人の選手がアタックを仕掛けた。 タイムギャップは27秒。韓国とWCCの選手だ。 ゴールまでほぼ下りとなり、集団で牽制が入ればその差はどんどん広がる。 残り、10kmを切っているタイムギャップ42秒。どうやらこのアタックが決まりそうな雰囲気を持っている。 残り5kmを切り、タイムギャップ49秒。このままゴールを迎えそうだ。 時刻は正午をむかえ集団はそのままゴールした。 |
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ゴール後、選手は昨日同様に自走してホテルまで帰った。 湯浅君の治療に少々時間を要したために、洗濯を済ませ、それぞれで昼食をとった。 今日は24度まで気温が上がり、ホテルに戻ると社長さんからアイスの差し入れを頂いた。 あとの時間は自転車整備などにあて、ラストステージへ向けて休養をとった。 |
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18時半の夕食は、チームカーのドライバー、リュウ・インヒーさんの紹介で「ミート&フィッシュ」という近くの飲食店でバイキングとなった。選手は最終日を前に、各々が満足いく食事をとった。 20時からのミーティングでは、上田監督から悔いの残らないように精一杯のレースをするよう、そして少しでも順位が浮上するようにという力強い言葉があった。 明日はいよいよファイナルステージ。選手の堂々たる健闘を期待している。 |
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第4ステージ個人成績 55位…三宅 大春 |
第4ステージ総合成績 |
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■第6日目(5月20日)第3ステージ−119.3km(ポウン〜チュンジュ)
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第3ステージは今大会の折り返しとなるステージ。昨日のサバイバルを走破した34名が上位入賞の可能性を持った選手である。
ポウンの宿舎は標高約340m付近で、朝は若干肌寒く吐く息も白い。 朝食は7時に昨日からお世話になっている山菜専門の飲食店だ。 スタート地点まで、バス移動になるので選手は早めに身支度を済ませ、8時10分のバスで移動をした。 |
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スタート地点は、ポウン国民体育センター前から。天候は快晴で時折吹き付ける冷たい風が心地よい。
いつもどおりバイクチェックとサインシートを済ませレースに臨む体制を整える。 昨日までと違うことは、第2ステージで落車した竹村君がDNSということ。第3ステージからは5名での出走となる。 スタートしてすぐに工事区間があり、3m程度の砂利道がある。マットは敷いたがかなりお粗末でバンピーであることには変わりない。 |
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スタートは9時半、全ステージの表彰後、号砲が鳴り響く
パレード区間は2.3kmとやや短めだ。今日のチームカーは昨日より1つ順位を上げ11番目、相変わらずレース展開は殆ど見えない。 スタート直後の気温は14度、ゴールの頃には20度ぐらいまでに気温が上がる予定。パレード区間を終えリアルスタートが9時33分。 静かにレースが始まった。開始早々、キツ目の上り区間が訪れる。 |
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スタート地点の標高140mから5kmで一気に380mまで登り切る。平均勾配約5%だが、数値以上にきつそうに見える。 この坂道を利用しガピョン高校とWCCの選手が6km手前でアタックを仕掛けた。タイムギャップは18秒。 この先70kmをすぎる辺りまで、アップダウンを繰り返しながら徐々に標高を下げていく。 タイムギャップは16km地点で35秒、17.5km46秒へと徐々に拡大していった。 29km付近、1分19秒へ拡大。全体としてまったりとレースは進んで行くが、30kmを過ぎたあたりで落車が発生。WCCと韓国の選手のアクシデントだった。 レースは中盤に差し掛かる。42.8km地点で1分28秒の情報が入る。 逃げた2名もプロトンもペースはほぼ同じようだ。ことあたりになると集団から溢れる選手がちらほら見受けられるようになった。 日本人選手が確認できないことからプロトンに全員いると思われる。48kmで1分30秒のタイムギャップ。ここで補給の連絡が入る。 50km〜53kmあたりで 三宅君と、少し間隔をあけて湯浅君がドリンクやゼリーを受け取った。 60km手前で落車の情報が入るが、日本チームは関与していなかった。ここでタイムギャップの連絡があり、先頭と27秒差に縮まっているとのことだ。レースは折り返しに入る。 65km付近、前方で逃げていた2名の選手は集団に吸収され、新たに逃げの集団が10名ほどで形成された。タイムギャップは24秒。 71.4km付近、54秒へ拡大。この辺りから二十数キロの上り区間が始まる。 79km付近で1分9秒差。徐々にその差を広げていく。 80kmで再度補給の要求があり、堀込君と溝口君がゼリーや水を受け取った。レースは残り40km。前半約20kmが上り、残り後半がほぼ下りという展開だ。 85km付近、タイムギャップ2分19秒。逃げ集団はこのまま決まりそうな雰囲気がある。 集団は多少の逃げ合戦が繰り広げられるが決定的なものはなかった。湯浅君も逃げかけたがドロップしたようだ。 99km付近、補給区間が終了の連絡を告げられる。このまま、特に動きがないまま110kmを過ぎ、第3ステージも残り10kmを切る。 残り数kmで小さなアタックが幾つか始まる。そのまま集団を引き離す者が出ないまま集団でのゴールスプリントとなりゴールになだれ込んだ。 >>3rdSTAGE RESULT(PDF) |
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レースが終わってから、選手はウズベキスタンの選手と一緒に自走でホテルを目指した。 今日から二泊お世話になるのが「ピアノ」という宿だ。 昼食はチャーハンをデリバリーしてみんなで部屋で食事をとった。その後は、洗濯や自転車整備をしながら明日の試合に備えた。 18時半から宿舎向かいの食堂で夕食となった。 監督が選手の労をねぎらい「サムゲタン」をごちそうしてくれた。薬草をふんだんに使い、滋養強壮に効くそうだ。 夕食後は、ミーティングで今日の反省と残り2ステージでの目標を掲げて終了した。 |
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■第5日目(5月19日)第2ステージ−112.5km(チョンジュ〜ポウン) |
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韓国入りをしてから4日目、第2ステージが始まる。昨日の反省を活かして積極的なレース展開を期待して朝をむかえた。この日は慣れ親しんだチョンジュを離れ、ポウン(報恩)までの道のりだ。
朝7時に「キムパブ」で朝食を済ませ、全部の荷物を持ってホテルを出たのが8時20分。スタート地点は昨日と同じMBC放送局である。トップチームとは総合で9分5秒のタイムギャップがあり、上位浮上するためには非常に厳しい状況ではあるが、一つでも順位を上げるために士気を高めた。 |
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MBCに到着後、バイクチェックとサインシートの記入を早々に済ませ、しばしリラックスムード。
昨日の落車の影響でサドルの交換をせざるを得なかった湯浅君は、ポジショニングに少し苦労していた。 |
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今日のステージは、昨日に比べ走行距離も起伏の激しさも増しており過酷なレースが予想される。スタートの直前に第1ステージの上位3位までの個人とチームへの表彰が行われ、やがてスタートの9時半をむかえ選手はコースへ飛び出した。
気温は約15度、曇天模様だが雨の心配はなさそう。MBCから出発し、パレード区間の4.5kmを過ぎてリアルスタートとなったのが9時36分。 スタートして約20分を過ぎた10.3km付近でアクシデント発生。日本人選手2名を含む数台の落車だった。 山口君と竹村君の姿が確認できた。山口君の外傷は少なく、レースへ復帰したが集団へ戻るのには少し距離がある。 竹村君は、怪我の様子が少しひどく念のため病院で治療を受けることとなった。 |
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17.7km付近で再びアクシデント。今度は韓国人選手が病院へ搬送されたようだ。後からの情報で腕を骨折していたことがわかった。レース序盤からこれほどハードな展開になるとは予想もしていなかった。 31.2km付近で5名の逃げ集団が確立したらしい。韓国人選手の他、WCCのウズベキスタン2名、ベトナム、タイの選手らだ。タイムギャップ21秒。日本の選手が対応できなったのが残念だ。 37.4km付近では1分22秒との情報が入った。この辺りで路面がウェットになっている部分がある40km付近46秒差プロトンからこぼれた選手が多数見受けられる。 50km付近、逃げ集団とプロトンが20秒差に縮まった。この辺りは急カーブの下りが多い地点で、プロトンの誰かが果敢に攻めていったと思われる。 レースはおよそ折り返しの距離となる58km付近にて選手より補給の要請があり、チームカーが前線へ移動した。湯浅君が水とゼリーの補給をし、落車した選手の状況を連絡した。この後無線連絡で逃げ集団とのタイムギャップが1分56秒に拡大したと情報が入る。 |
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その後、特に情報のないままレースは展開していく。73km地点で三宅君が集団からこぼれ3人に集団で前方を追走している姿を確認した。その前方にはグルペットがいくつも形成されていた。どうやらプロトン内で熾烈な競走があったのかもしれない。これで、前方の集団には日本人選手は3名しかいないことになる。 79km付近、4名のWCCを含むウズベキスタンチームの4名がセカンドグループとして新たに逃げているとのことだ。タイムギャップ54秒。 83kmではセカンドグループとのタイムギャップ1分23秒に拡大。レースも終盤に差しかかったところで、ようやく太陽が姿を見せ始める。それでも気温は20度に達していない。 レースの隊列が変化ないまま100km地点を過ぎた頃、第3集団から3名の選手が飛び出した。 この逃げが成功したのかわからないままゴールを迎える。ゴール後、湯浅は、嫌というぐらいアタックをかけたのに逃してくれないと嘆いていた。国内レースでは味わうことのできない刺激を受けた様子だ。 |
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■第2ステージ個人成績 19位…溝口 智貴 |
■第2ステージ総合成績 1位…Team WCC-KS A |
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結局この第2ステージで完走出来た日本チームの選手は3名となった。 全体としても146名出走中完走者36名とサバイバルゲームとなった。 DNFの選手はタイムペナルティを受けて第3ステージで出走することになる。 ペナルティを受けた選手は上位選手のために献身的な走りをするであろうから、より一層のチームワークが期待される。
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さて、本日の宿舎はゴール地点から十数キロ離れた俗離山国立公園(ソンニサンナショナルパーク)にあるグリーンパークペンションというのが本日の宿舎となる。 選手はバスで移動し宿舎へ到着。すぐに昼食となった。 山菜料理の店で「ノンスパイシーのビビンパ定食」となった。夕食も同店で「プルコギ定食」をとった。 明日はステージレースの折り返しとなる第3ステージ。 今日よりもさらに距離が長く、高低差も大きくテクニカルなコースである。 チームの半数がDNFという残念な結果ではあったが、明日も出走できるチャンスをもらったことを、自分自身の経験値として意味のあるレースをしてもらいたいと思う。 |
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■第4日目(5月18日)第1ステージ−104.6km(チョンジュ〜チョンジュ)
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いよいよ大会が始まる。
7時にいつもの「キムパブ」にて海苔巻きや餃子を食べ試合に臨む。 身支度を整えて8時15分にホテルを出発。 バイクチェックやオープニングセレモニーが行われるMBC放送局へ向かった。 |
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補食とりながらボトルを用意したり、オフィシャルに積み込む車輪を手配したり、選手とスタッフが一緒になり準備を整えた。 選手団は、韓国の高校生チームを中心とする15チーム146名で、ナショナルチームは日本の他に、ウズベキスタン。 そして、UCI主体のWCC-KSのAチームとBチームが出場WCC-KSはタイ・ベトナム・ウズベキスタン・中国・トルクメニスタン・モンゴルの編成チームである。まさに国際ロードレースにふさわしい顔ぶれである。 9時半よりオープニングセレモニーが始まる。 大会運営に関わる役員が次々と挨拶を済ませた。 選手宣誓はチョンパク体育高校の選手。そして10時のスタートを迎える。 |
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ピストルの号砲と共に全選手が一斉にコースへ飛び出した。
6.8kmのパレード区間を抜けて、リアルスタートが10時10分。 ここから戦いが始まる。チームカーは前日の抽選で13番目の伴走となる。 レースは序盤5km地点で湯浅君(北桑田)を含む8名で逃げが始まった。タイムギャップは25秒。ロードコースの高低差はそれほどなくイージーなコースではあるが、途中の路面には速度を抑制するかまぼこ状の障害物がいくつもあり、随行車両が大きく縦に揺れる。レースに参加している選手は当然だが、自転車にもタフさが要求される。 14.5km地点、湯浅君を含む2名の選手がメイン集団に吸収されたという情報が無線で入る。 26.2kmアクシデント発生。アンラーッキーとラッキーが交錯する。 アンラーッキーな事はといえば、数名の落車の中に湯浅君(北桑田)が巻き込まれ、サドルのレールが「サドルから抜ける」というトラブルが起こったことだ。怪我は擦過傷で済んだが、この後のステージが心配される。さて、ラッキーなことと言えば、同地点において多くの選手がミスコースをしたということでリスタートとなったこと。これによって、湯浅君は集団から遅れることなくレースに復帰できたのた。 28.0km、2度目のリスタート。トラブルかと思いきや、コンプリートスタートということでレースは完全に振り出しに戻った。 38km地点で集団から離脱した7名の選手がミスコース。チームカーも誤ったコースを走行し、多くの車両がUターンで引き返す。遅れた選手には日本人選手は含まれていなかった。 45kmの直角右折地点で3名の落車。さらに6名が遅れて走行している。日本日本の選手は含まれない。 50kmを過ぎた頃にやや長い上り坂でちらほら集団がバラけ始め、グルペットが幾つか形成された。 第1ステージも後半に入り58km付近、日本人選手より補給の要求がありチームカーはプロトンへアクセス。上田監督より堀込君(八戸工業)へボトルとゼリーがスムーズに手渡された。気温は約26度、日本人選手の乾きを潤してくれるであろう。 第1ステージも3分の1を過ぎた70kmあたり、数名の選手が1分差で集団を引き離しているようだが、プロトンは牽制しているのか、40km/h弱のまったりとしたスピードで走行している。 79km付近、4名の選手がタイムギャップを2分に広げたと連絡が入る。その中には日本人選手はおらず、韓国の有力選手が含まれているらしい。80kmを過ぎたあたりでゆるい下りにさしかかり、プロトンも速度を上げ縦長の集団となり追撃開始。 ゴールまで残り20kmの表示が見えたが、集団は依然逃げ集団を捉えることができない。 90km付近、無線情報によるとプロトンとのタイムギャップは、先頭手段と2分6秒、セカンドグループとは1分48秒とのことだ。 レースも終盤、残り10kmレースの形態はほぼ変わらず、チョンジュ市内へと戻ってきた。次第にコースの沿道もお店や車両が多くなってきた。なんの情報も得られないまま残り2kmの表示、遠くに見える選手団を見る限りそのまま集団ゴールをした模様だ。到着時間は13時頃。約3時間のレースとなった。 |
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■第1ステージ個人成績 24位…竹村 拓 |
■第1ステージ総合成績 1位…Gapyeong High School |
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ゴール後、1km程先にあるホテルへ戻り、洗濯、昼食となった。
昼は近所の「のり巻きハウス」なる飲食店へ。 冷麺や豚カツ定食、プルコギ定食等を注文し、その後は自転車整備と休養にあてた。 6時半からお馴染みの「キムパブ」での夕食を頂きミーティングをして明日に備えた。 明日は、ミーティングで話し合ったチームでのコンタクトを上手くとり、順位を上げるための組織的な走りができるように期待している。 |
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■第3日目(5月17日)…練習・監督会議 | ||
いよいよ目前に迫ったロードレース。この日の予定は、午前中のロード練習と午後からの監督会議である。前日晩御飯を頂いた「キムパブ」で比較的ゆっくりとしたスケジュールで朝食を済ませた。 |
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9時15分から練習を始めたが、出発してまもなく竹村君(北桑田)がパンクして集団から離れた。サポートカーが無い中での練習なので、ホテル近くでのパンクだったのがせめてもの救いだった。
すぐさまメカニシャンの早川君(北桑田)が対応し、後を追った。 どの選手も、慣れない右側通行での走行で神経質にトレーニングをした。 交通量も多く、走行距離はさほど稼げないが精神的に疲れた様子だった。 |
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練習後は、それぞれでパンクの修理や自転車の整備をし終わったのがお昼。昼食は日本食を提供する「タヌキ」という飲食店に入った。各々がうどんやら丼ものやら食し、ホテルへ戻った。 | ||
14時30分に、チームサポートが来て輪行バッグなど、最終日まで不必要な荷物をMBCまで運んでくれた。
これに同乗し上田監督らが監督会議へと向かった。 到着してすぐにライセンスコントロールが行われ、16時からの監督会議までプログラムなどをチェックしながら過ごした。 その間、他チームも来場し、にわかに会場もそれらしい雰囲気を醸しだしてきた。 |
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監督会議は、韓国語と英語での説明であった。 ヒヤリングにはそれほど自信は無かったが、上田監督が重要な部分はしっかりと把握していた。 会議終了後、ホテルでボディナンバーやチップの配布や監督会議での重要ポイントの説明をしてレースのための補食を買いにロッテマートへ行った。 |
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18時より夕食。この日は、近くの焼き肉店で食事をした。 チームのサポートカーのドライバーであるリュウ・インヒーさんも同席した。 上田監督とは面識があり、2011年の本大会でも日本の担当をしたことがあるという。 普段の仕事は自転車等のフィッティングをしたり、写真家でもあり、ジャーナリストでもあり様々な顔を持ち、とても頼りになる存在だ。事前に韓国チームの主力選手の情報を提供してくれた。 夕食後、上田監督の部屋で再度ミーティングをしてそれぞれの部屋で明日のために準備や休息をとった。 いよいよ始まる大会に、選手から大きな気負いが感じられた。 総走行距離558.7kmの中の第1ステージ、104.6km。 一つひとつのレースをしっかり走破し、次のステージへつながるように頑張ってもらいたい。 様々な国の強豪が集まる中で、どれほどの走りができるのか期待している。 |
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■第2日目(5月16日)…移動日 | ||
成田空港の今日は雨。青森組は2日目、京都組は初日をむかえて仁川国際空港でようやくチームがひとつになる。 それぞれの便で韓国へ入国し、入国審査を終えて空港出口で対面したのが12時15分頃。すでに韓国人スタッフによる送迎バスが到着していたために、挨拶もままならぬままバスに乗車し12時30分に仁川国際空港を後にした。 韓国の気温は約25度、そよ風が吹き、半袖で心地良さを感じた。 目指すチョンジュまでは200km弱の道のり。途中一度、日本でいうサービスエリアでトイレ休憩しハイウェイをひたすら走った。高速道路は比較的スムーズで、途中1ヶ所やや渋滞したがおよそ2時間半で今日のホテルへ到着。 ハングルは読めないが部屋の枕のアルファベットを読むと「オペラホテル」というらしい。 バスから荷物をおろし、ロードレーサーの組み立てを全員でした。 どのバイクも特に問題なく整備を終え部屋でしばし休憩をとった。 5時30分から夕食をとるために、上田監督がよくお世話になっている「キムパブ」という大衆食堂のような飲食店に入った。 周辺にはロッテマートがあり比較的大きな繁華街の一角である。それぞれ「ビビンバ」や「クッパ」など日本でもお馴染みの料理を注文し、今回はじめて揃っての食事となった。 食事の後は、お隣のロッテマートでミネラルウォーターや洗濯洗剤など必要な物の買い出しをした。 ホテルまでの道のりは240mと非常に近く好立地である。 ホテルに到着をし、7時より監督の部屋で自己紹介とミーティングをした。監督からは経験上レースに必要な心構えや、想定される状況とその対処法など、事細かく説明を受け、選手は真剣にメモをしながら聞いていた。 明日は、ライセンスコントロールや監督会議といったレースに向けての体制が始まる。 選手は生活上での文化の違いに多少驚きを見せながらも目を輝かせ、明後日からの試合に臨む意気込みを見せていた。 |
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■第1日目(5月15日)…移動日
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今回のチョンジュMBC国際ジュニアロードレースは、青森県と京都府の二府県での参加となった。出発場所が違うことから、青森組は5月15日(金)の出発であった。新青森駅から成田(コーチ)と山口(青森山田)が出発し、八戸駅で堀込(八戸工業)が合流し、成田空港までの道のり。 前日及び、当日に東北地方で比較的大きな地震が発生していたが、特に遅延することなく順調に成田空港第1ターミナルまで到着することができた。 連絡バスに乗り、成田エアポートレストハウスの部屋で休憩できたのが午後8時をゆうに過ぎていた。それぞれで簡単な食事を済ませ翌日の移動に備えた。 |